歴史は「修正主義」に限る。新しい史料が見つかれば今までの解釈は一瞬でひっくり返る。

 ある歴史上のことがらについて今までの通説と異なる解釈を「歴史修正主義」、それを唱える人を「歴史修正主義者」と言う。「修正主義」あるいは「修正主義者」は非常に間違った考えあるいはその持ち主とされ、極悪人とおなじようなラベルを貼られるらしい。その業界では生きてゆくのも難しいようだ。
 しかしこれはおかしい。ある説だけが正しいなどあり得るのだろうか。もしそうだとすればそれは独裁国家の歴史解釈と同じではないのか。いつの間に自由主義国の歴史解釈が独裁国家なみになってしまったのだろうか。
 さらに歴史解釈が固定されてしまったら、それはもはや歴史ではなくドグマになってしまうのではないか。そのような国では歴史学は存在しない。時の勢力の追従者でしかない。
 一例を挙げよう。日本はこの前の戦争でどれくらい中国人を殺害したのだろうか。最初は320万だった。その20数年後には民間人も含めて570万人だった。それから2168万人になり、江沢民以降は3500万人になった。ではこれらの数字の根拠は?どこにもないのだ。特に3500万人はあやしい。しかし国のトップの発言だから中国の歴史学者はその数に合うように史料を漁りつじつま合わせをする。これが中国の歴史学なのだ。学問とはとても言えまい。そうあらゆるものは国家の指導者に奉仕しなければならないのだ。歴代の中国王朝と変わるところがない。このような国では通説に異を唱えるのは命がけの仕事だ。
 現在学校で教えている日本史は我々が習ったときとは大分違うようなのだ。鎌倉幕府の成立は1192年で「いいくに作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせで覚えた人もいるだろう。私は数字はそのまま覚えるのがすきなのでやらなかったが。ところが今は1185年になっている。頼朝が「守護」、「地頭」を任命する権利を得て、幕府制度を整えたのが85年なのだ。92年は彼が征夷大将軍に就いた年にすぎないというのだ。
 江戸時代の農民一揆もそうだ。一揆の数は多かったようだが、処罰されるのは首謀者だけで農民たちは結構要求を通したことが多かったらしい。一揆が起きるのは藩政にも問題あるとされて幕府からはお咎めもあったのだ。それに領主達は藩の財政を潤すためにも殖産事業に熱心だった。決してある学派の言うように虐げられていたばかりではないのだ。もっとも貧しかったことは貧しかった。日本を含め大多数の国は最近まで貧しかったのだ。
 歴史解釈の根本は事実の発掘だ。事実に基づかない歴史解釈が通説になっていたら当然修正しなければならない。決して解釈は固定的なものではない。固定した解釈は死んでいるのと同じだ。
 歴史解釈は政治的であってはならない。しかし現状はかなり政治的に悪用されているようだ。新しい史料が見つかれば通説は変わりうる。歴史は静的なものではなく動的なものだ。歴史は「修正主義」に限るのだ。


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